この間に彼は蒸気機関の滑り弁の制御に関する有用な論文を出す一方、このような実際的な題目とは対照的に、有名な「クラペイロン・クラウジウスの式」に到達する研究もしました。
・・・これはカルノーの原理を説明したもので、カルノー自身ですら著作「考察」の中で行っていなかったものです。
弾性学については連続梁に関するナビエの研究をうけて、工学系の学生には馴染み深い有名な「三連モーメントの式」を導きました。
この式は2個以上の支点で支えられた梁の問題を解くのに有用なもので、構造技術者にはとくに大切です。
実際的な応用例として、この式はロバート・スチーブンソンが建てたウェールズのメナイ峡谷にかかるブリタニア橋の強度を調べるのに使われました。
ひずみエネルギーに関して「物体にかかる力とそれによって生じた変位との積の和は、物体に貯えられるひずみエネルギーの2倍に等しい」というクラペイロンの定理もよく知られています。
クラペイロンは抜群の能力を持った技術者で広く工学の理論面に貢献しました。
1858年、彼はフランス科学アカデミーの会員に選ばれ、1864年7月28日に世を去るまで橋梁道路学校とアカデミーで仕事を続けました。
彼らが請け負った研究の1つに、ペテルブルグに建設予定の聖イサク教会のドームとアーチの安定に関するものがありました。
こういった一連の仕事を引き受けたのは、彼らがまだ20代のはじめだったとは驚嘆に価します。
1830年の7月革命でフランスとロシアの関係がまずくなり、クラペイロンとラメは余儀なくフランスへ帰ることとなりました。
2人はパリ近郊の鉄道建設に参加し、サン・ジェルマン鉄道では非常識な急勾配を登る機関車の設計を要求されました。
クラペイロンは英国に渡ってニューカッスルにあるロバート・スチーブンソンの機関車工場を訪ね、この有名な人物から特製の機関車を何両も購入する交渉をしました。
スチーブンソンは設計上の難点が多いのを理由に注文を断ったので、クラペイロンは自分で機関車を設計してシャープ・アンド・ロバーツ社に造らせます。
実際的な工学問題に取り組む傍らクラペイロンは橋梁道路学校(エコル・デ・ボン・ゼ・ショッセ)で蒸気機関の特別コースを教えました。
あらゆる点で彼は優れた教師で、深い理論的な知識を実地応用に結び付けたのです。
クラペイロンの名前は、工学の中で全く異なった2つの分野に現れます。
彼の名は材料力学の教科書ではひずみエネルギーを使って連続梁のたわみを求める方法に、また熱力学ではセルジウスと同じく物質の蒸発、昇華、溶融の研究に結びついています。
ベノワ・ピエール・エミール・クラペイロンは1799年2月26日パリで生まれました。
高等理工科学校(エコル・ポリテクニック)を卒業し、次いで1820年には親友ガブリエル・ラメと一緒に鉱山学校(エコル・デ・ミーヌ)を卒業しました。
ラメは圧力をうける厚肉円筒の式で知られています。
この2人は将来を嘱望された青年技術者としてフランス当局からロシア政府に推薦され、新しい科学と技術を移植するためにロシアに派遣されました。
彼らはペテルブルグ(現レニングラード)に着き、できたばかりの道路交通大学で応用数学と物理学を教えました。
教育の傍ら彼らは道路や公共建築、トンネル、その他ヨーロッパで最初の吊り橋の設計に携わりました。